Blog

2017年5月30日

山で働くということ1_林業って必要なのか?



林業。

どんなイメージを持たれるだろうか?

 

イメージすら沸かないのが一般的なのかも知れない。

 

キツイ、汚い、危険の3K? 当たっている。

低賃金? これも当たっている。

木を伐る環境破壊? これは違う。

 

基本、僕たちきこりは山の中に居るので、その実態に触れることは少ないかもしれない。

そこで今日は林業について少しお話したいと思う。

 

僕たちは山で木を伐ってそれを売り生計を立てている。

なぜ木を伐るのか?

それは、木材の需要が多少なり残っているからだ。

家を建てたり、バイオマスと言って木を燃やして発電したり、チップにして紙を作ったり、

家具や檜風呂、工芸品と言った用途もある。

これらの需要を満たすため木材は必要とされている。

しかし、需要は先細っている。木造の家も減ってきているし、そもそも少子化だ。

家を建てるにしても、木に変わる素材はとうの昔に登場しているし、

紙の原料のチップや安価な建築材のほとんどは遠い外国から船に乗ってやって来る。

 

では、そもそも林業って必要なのか?

 

自らの職業の根幹、存在意義にも疑問を突きつけられる問いだが、

僕はこう思っている。

 

まず、家などの建築用材としての木材。

確かに安価で、加工しやすく、耐震・耐火性に優れた素材は次々に開発されている。

コンクリートでも家は建つし、そのテイストを好む人もいるだろう。

木が好きな人は木を選べばいいし、コンクリートや樹脂繊維を好む人はそちらを選べばいい。

木を選ぶにしても、スギやヒノキといった日本の山が得意とする木ではなく、

外国からやって来る広葉樹も選択肢に入るだろう。

一昔前は100%国産のスギ・ヒノキ等国内で賄える素材で建っていた建築物が、上記の様な多様化でそのパイを削り、

今では本当に一部の人たちにかろうじて選んでもらっている状況だ。

 

例え日本の林業がスギやヒノキを生産しなくなっても困る人は少ない。

輸入も出来るし、なくてもいいという極論も成り立つ。

 

しかし、考えてみて欲しい観点が2つある。

 

一点目。
電力・エネルギー問題や農林水産業で議論が尽くされてきた事柄ではあるのだが、

もし石油の輸入ができない状況になったら?現に多くの原発は停止している。

代替エネルギー源をとリスクヘッジを取っているではないか? 

農業にしてもTPPで安く野菜を輸入できるからと国内の多くの小規模農家が廃業に追い込まれたと仮定した未来に、

原産国の事情で野菜が輸入できなくなったら?その時日本に日本人の需要を満たすだけの農家はいない。

 

つまり、現在の経済原理に沿うという理由だけで、不効率なもの昔から紡がれて来たものを捨去っても良いのかという疑問。

時代はいつだって、確実に今と同じ価値基準で永続することはない

換言すれば、もしもの時のために多様性を残すと言う観点を忘れてはいけないと言う点。

 

木は資源だ。建築材、火力、電気、昨今では技術革新で木造のビルも建てられるようになったし、耐火性を高める加工も可能になった。

木があれば、日本人の暮らしはなんとかなる。

しかし、木を伐り、運び出すと言う技術が残っていなければ、山に資源があろうと

その循環性に優れた資源を利用することは出来ない。

 

2点目として、有機物と無機物と言う観点。

 

木は土に還るというという分解まで含めた視野で考えた時にその優位性を発揮する。

コンクリートや化学物質は購入時には安くても、廃棄・分解の段階で厄介な問題を残す。

 

そして、個人的に、人間という有機物には木という有機物が優しくフィットするような気がするのだ。

小学校を木造にしたら学級崩壊が減ったとか、成績が上がったとか、木造建築が精神情緒や脳の働きに影響を及ぼすといった話は立証された事実であり、自分の肌感覚でもそれは正しいと思える。

森林浴が気持ちが良いのはそこに木があるからだ。

 

そのような観点から僕は、日本には日本固有の木を伐る技術体系を継承する木こりという職業が必要なのだと思っている。

 

少し長くなったようです。

 

もう一つ、どうしても伝えたい林業の意義を自然環境保全という観点から述べる機会を頂きたいのですが、次回の記事に譲ることにします。

次記事・・・・「山で働くということ 2」 山が与えてくれるもの 


最後まで読んで頂き、有難うございました。




山の資源をご家庭に 弊社木成では薪や薪ストーブも販売しています。

薪と薪ストーブのページはこちらです

アーカイブ

↑