Concept

持ち腐れてる場合じゃない

木は山を作り
綺麗な空気を作る
綺麗な水も作る
家となり住を支え
薪として煮炊きを助け、暖に変わり
エネルギーとして電力にも変わる

木なしに人類の歴史は考えられただろうか?


しかし、今、山は痩せ衰え生気がない
光が足りていない
混み合い過ぎて
木が伸び伸びと育つスペースがない
そして何より
山を手入れしてくれる人がいない

人の手によって植えられたスギ・ヒノキは
最後の一本まで人が手入れを続けなければ
一生のサイクルが完結しない

植える
草刈りをして育てる
間伐をしてスペースを空ける
木を利用する
残った木が育つ
再び間伐をし
木を利用する
残った木が育つ
最終的に全ての木を伐り
再び
植える

この間、ざっと100年

人は労働を通じて山と関わり
山を健全に保ち、育った副産物を得る
ただ一方的に収奪する関わりではない
山と人との互恵的なサイクルは
遠く室町時代から始まった
文化と言える
循環するサイクルが山にはあった

循環するものは美しいと思う

しかし、その循環が止まりかけている
理由は単純で
人にとり山が価値を持たなくなったからだ
わざわざ多大な労力と私財をつぎ込み
得られるリターンがない所から
人は手を引いて行った
遠くから船に乗って運ばれて来る
外国産材が安すぎた
昭和50年代をピークとした
国産材の材木価格は
物価スライドを無視しても
1/4にまで下落した

人が去った山にどのような事が起こったか?
成長に必要なスペースと光が得られない木は
細いままその背のみを伸ばす
広く深く根を張る事が出来ず
不安定なまま放置される
台風や雪に耐えられず
土砂災害、一斉倒木を誘因する
光の届かない林床には草も生えず
生物達の生態系も崩壊していった

山に人が関わる限り
山の健康は担保される
きこりがその役割を果たす適任なのだと思う
ぎりぎりでも安くなった材価でも
やり方はあるかもしれない
しかし
やはり
伐った木を使って欲しい
売れなければ、
きこりと言う職業自体が成り立たない
結果、山は荒れる


木は宝だ
だから、どうか国産材に目を向けて欲しい
使う事により
山はその輝きを取り戻すのだから

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