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2017年8月1日

気持ちのよい山の定義



気持ちのよい場所と、そうではない場所ってある。

気持ちのよい人と、そうではない人っている。

 

 

今日はその違いについて考えてみたい。

 

あなたにとって気持ちのよい場所と気持ちのよい人を好きなだけ思い浮かべてみて欲しい。

 

その逆も。

 

双方の共通項は見つかるだろうか?

 

 

 

僕がいつも感じていることは、至極シンプルで、

気持ちのよい場所や人や事象や物は、気分を上げてくれる。

 

逆は、気分を下げる。

 

 

そして、次に「なぜ?」を思考し始めるのだ。

なぜ、良いのか?

今回は、僕達が普段扱っている人工林に関してその思考を進めてみたい。

良かったらお付き合い下さい。

 

気持ちのよい山の定義は? 実は以前ある方から受けた質問だった。

 

適正な林分密度

下層植生の分布

生息する動植物の豊富さ

林内の光量などが保たれている事。

 

テキスト通りに数値化された答えを導くこともできるし、

分かり易く大切な指標であるのは事実とした上で、

僕はその方の質問にこう答えた。

 

 

「気がいい」

 

 

情緒的かもしれないけれど、僕は1つの生命として世の成り立ちを捉えている。

間伐がなされた山は、縦方向からの光の通りと、横方向からの風の通りが良い。

水でも土でも人でも、撹拌されている方が新鮮で澱みがない。

部屋(物理的・心理的スペース)が明るく清潔に保たれ、換気がなされている状態に似ている。

 

 

日本語には龍脈と言う言葉があり、『千と千尋の神隠し』的解釈だと、それは気の流れ、風の流れ、川の流れとされていた。

つまり自然なFlow。

間伐がされている山には、そんな光と風の流れがある。

 

Flow-流れ 

澱みのない良い流れがある。

朝になれば光が満ち、夜になれば暗闇となり、風が吹けば風が通る。

あるべき自然の状態。

そこ居いるだけで気持ちがいい。

だから気持ちのよい山の定義は 「気がいい」 とさせてもらった。

 

その環境下で木々は、草々は、猛禽類達は、地中の微生物達はその生を楽しむが如く健やかに活動する。

 

プラス、人に愛情を注いでもらった山には「自己肯定感」の様なものを感じる。

木が木らしく本来あるべき姿で、根を張り枝を張り、自信を持ってそこに立っている。

自分の存在をまるごと受け入れてもらえている安心感が「自己肯定感」に繋がっている様な気がする。

 

 

しかし、同じ間伐でも、効率重視の搾取型では、その様な凛々しく立つ「自己肯定感」を木々は放っていない気がするのだ。

 

 

非科学的かも知れないが、上記のような感覚は僕の中では事実である。

量子力学的観点から観たら案外的外れな見解でもないような気がするのだが、どうだろうか?

 

と、取り留めのないまま本日はこれにて。

お付き合い頂き有難うございました。

 

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